砂連尾理・北村成美インタビュー 2部【コミュニティダンスのすすめ】パンフレットより

第2部

-次の質問ですが、自分の作品を創る以外の、WSや他の人たちと作品を創るという経験について、お聞かせください。
砂連尾:先ほどの京都の平盛小学校の他にも小学校に限らず中学、高校でも幾つかあります。また滞在型では、福岡ダンスジェネレイトや仙台等、JCDNの仕事でいくつかと、劇場では北九州芸術劇場で北九州に1ヶ月半ほど滞在しながら、関西では伊丹のアイホールで地域の方それぞれと作品制作を行いました。また海外でも、昨年度文化庁の在研(新進芸術家海外留学制度)でベルリンの「Theater Thikwa」という障がい者団体と、合計3、4ヶ月のお付き合いをし、その成果として帰国直前に、日本のNPO法人ダンスボックスとやっていた[循環プロジェクト]のメンバーを数名呼んで、10日間ほどのWSをしながら作品を創った経験もあります。
 
 
障がいを持っている人とのワークについて、[循環プロジェクト]の後に、ベルリンで、ワークをしたときに、何か違いや新しく発見したことがありましたか?
砂連尾:先ず言葉が通じないということが決定的に大きかったですね。言葉が違う中でワークしたときに、本当に体同士での対話が切実に迫られました。ただその状況が却って、同時に言葉がなくてもこれほど通じるんだって事を改めて実感できる機会でもありました。Theater Thikwaのメンバーとのコミュニケーションの困難さがかえって、僕の身体というかダンスへの可能性をすごく感じさせてもらったように思います。日本では知的障がい者の方とWSをしていたので、彼等ともそれほど言葉によるコミュニケーションがなくても大丈夫と思っていたのですが、改めて言語、知的、身体、それぞれ全部異なる状況の中で、どんな対話が可能なのか?それを切実に考えさせられる日々でした。

もしかするとそれまでの僕は、知的に問題があってもなんとなくでも通じる日本語がまだ担保になっていたのかな、という感じがするんですよ。だけど、それがドイツ人とのワークの場合、その担保が全くなくなり、一番信じえるのが自分の体の接触や身振りだったりするなと思いました。そして彼等とのWSやクリエーションが、言葉を超えた対話、その可能性というものを非常に実感できる瞬間でした。
 
北村さんはいかがですか?
北村:WSは小学校が、北は宮城から南は徳之島まで、数えたことがないんですけど、かなり沢山。一番多いのは三重県で、35回以上行っています。三重県文化会館というところがアウトリーチをやっていて、最初は津市だけで始まったのが、県内を回りましょうということになって。もう4~5年目ぐらいになります。小学校以外では三重県の聾学校。他に作品創りでは、「踊りに行くぜ!!」のご当地WSで、宮城えずこホール、佐世保、栗東、静岡へ行きました。など、いろいろですね。
 
 
あと、別府の現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」ですね。 
北村:そうですね。「オープン・ルーム」というタイトルの公演で、市民の方80人ぐらいで創りました。その時に担当した若者チームが、今は「別府レッグウォーマーず」というグループで活動していて、今年から月一で別府で公演する企画を立ち上げました。また、2010年1月に京都で砂連尾さん、山田珠実さんとやった「ダンス4オール」。ほかは、2009年秋にびわ湖ホールの企画で、20人の子供たちとの作品を戦争をテーマにして創りました。 
 
 
-北村さんの活動を見ていて、別府でも京都でも、出演者の中から自主的に、ひとつのダンスチームというか、ダンスのグループができていますよね、それが企画している側としてはすごく面白い展開の仕方だし、理想的だなと思います。今日のWSをアシスタントしてくれたのも、京都「ダンス4オール」から出てきた人たちですよね。
北村:「京都フェブラリーズ」っていう、草野球チームみたいな名前をつけているんですけどね(笑)。1月に公演が終わって2月に再開して「よっしゃやるぜー!」って結成したからフェブラリーズです。今、彼らはもうアシスタントとして実働してくれていて、滋賀県内のWSや、奈良のたんぽぽの家主催のWSにも全部入ってもらっています。また、今年は栃木の宇都宮美術館から去年の「オープン・ルーム」を見て、「うちでもやりたい」という依頼を頂いたのですが、そこでもアシスタントとしてレッグウォーマーずのえびちゃんと、フェブラリーズの津田さんが参戦します。彼らは仕事としてちゃんと呼んでいただけるようになってきています。最初はボランティアだったんですけど、きちんと成果をだしてくれていて、今では無くてはならない存在になってきました。
 
 別府でも2009年の「オープン・ルーム」が終わった後に、トヨタの「子供とアーティストの出会い」という企画で別府市立中央小学校でWSをさせていただいた時も、100人ぐらい生徒がいたので、レッグウォーマーず全員にアシスタントで入ってもらいました。その時の活躍ぶりが認められて、福岡の小学校のWSにも呼んでいただいきました。また、福岡ダンサーズの中で、「オープン・ルーム」を最初から手伝ってくれた人たちが、そのまま出演もしてくれたんですけど、そのメンバーが今、福岡で活躍してくれている。

-そういう意味では各地に‘しげやんチーム’というか、一人一人がすごく気合いが入っていて、「自分たちでやるぞー!」という人たちがこれだけ出て来たというのは、面白いよね(笑)。その輪がだんだん広がってきて、別府のメンバーには千葉の人がいたり、いろんなところから集まってきてる人たちだけど、別府から始まって、それぞれがそれぞれの活動を広げていっているというのは、すごい波及効果ですね、これは。
北村:そうですよね。びっくりしますね。そんなつもりは全然なかったんですけど、味をしめていかはるんでしょうね、きっと(笑)。公演が終わっても、京都のメンバーや、びわこに出た子供らが、みんな稽古したい稽古したい、と言うから、面倒くさいので一気にうちの近所のスタジオに集まってくださいって言って、毎週稽古をやるようになったんですよ。
 
-それはなんていうの?
北村:「草津ダンス道場」です(笑)。 どうせやるなら、ダンス教室じゃ面白くないし、発表の機会をただ待っているだけでは面白くないから、自分たちで仕掛けていこうって言って、この夏はサマースクールをやったんです。4日間かけて、朝は子供、夜は大人で、泊り込みもして作品を創って、最後は保護者に見せる、だけなんですけどね。終わったらバーベキューパーティーをして。全部、自分たちでやって。しかも、それが次の新しいメンバーを呼び寄せたり。栗東で私自身が打楽器の方と公演をするのですが、群舞のシーンを創るので、「じゃあ出ようか」「じゃあ選抜やろうぜ」みたいな。もうなんかね、スポコン漫画みたいなノリなんですよ(笑)
 
 来年2月に、さきほどから話に出ている知的障がいのある方たちの中からも、初めてオーディションをやることになって、年代も障がいも関係なく30人~40人ぐらいを選ばせてもらって、それは本当に、コミュニティダンスとかコンテンポラリーダンスとか、そういうのはもう抜きにして、「とにかくお客をびっくりさせよう!」っていって、これまでの活動の集大成として一つ作品をやることになりました。今は、みんな何となくそっちに向かってワーって進んでいる感じです。
 
-その発展の仕方が面白いね(笑)
北村:漫画みたいですよね(笑)

 

To be continue……

The following two tabs change content below.

JCDN

JCDNはダンスの環境を創っていくとともに、日本における芸術のあり方を変革していく運動体=アーツサービスオーガニゼーションを目指すものです。その為にJCDNは、NPO(非営利組織)として設立し、社会とダンスを結ぶ接着剤として機能していきたいと思います。

 

2014年5月15日
Copyright ©JCDN. All rights reserved.